dhtakeuti’s thoughts

主に開発やPCについて考えたこと、感じたことの記録

技術の進歩に伴い、モノの寿命が短くなっている。

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ろうそく

2020年東京オリンピックのレガシー」で Wikipedia に「負のレガシー」としてホテルオークラのロビー解体が例として挙げられている。

ホテルオークラは、1962年に旧本館が開業し、2015年から建替工事が行われ、2019年に新本館が開業している。旧本館の建築物としての寿命は約60年である。この旧本館のロビーが2020年東京オリンピックの負のレガシーと言われるのは、もしかすると妥当ではなく、耐震基準などで建替時期としては寿命が来ていたかもしれない。

一方、京都にある南禅寺 三門は寛永5年(1628)に再建されたもので、国指定重要文化財となっているが、珍しく2階に上がることのできる三門である。この三門は、築後400年を過ぎても建築物として人が中に入ることができる。つまり、建築物としての寿命が400年以上ということになる。

耐震基準なども、技術の進歩に伴って、地震の仕組みが明らかになることで強化されている側面もあろう。また、数十年前と比べて建材が進化することで、以前よりも耐性の高い建材や建築方法に置き換わっているケースも多かろう。

これは、古いモノの方が寿命が長い例の一つである。

別の例として、このブログの記事の寿命については、何年保つのか分からない。Hatena のサービスがいつまで続くのかが寿命となる。記事自体はテキストファイルなので、バックアップとして保管することができるが、保管する媒体として何を使うのかで寿命が決まってくる。CD で数十年保つだろうか。記録媒体自体の寿命もあるが、読み出しする機器にも寿命があり、数十年後にその媒体を読み込む機器がないため、情報が失われることがある。もしも記録媒体が8インチのフロッピーディスクだったら、現在読み取ることができる機器は非常に珍しくなっているはずだ。一方で、記録媒体がパンチカードだった場合、カードが破損されていなければ目視で解読することができる可能性があり、その分データの寿命は長くなるかもしれない。

日本で古くから用いられている墨は、思ったよりも安定性が高く、丈夫な和紙や木に墨で書かれた文字は1000年単位の寿命を持っている。中国ではさらに古く、竹に墨で記録していたものが残っている。西洋では羊皮紙にインクで書かれた記録が、やはり1000年単位の寿命を持っている。それよりも古くなると、エジプトのパピルスを使った記録は数千年単位の寿命である。メソポタミア文明の石版や粘土に書かれた楔文字などはさらに古い。

こうして考えると、現在当たり前と思っている文字情報や映像記録などは、数千後に発掘されて解読ができるのだろうか?

別の視点で考えると、伊勢神宮遷宮の考え方が面白い。20年毎に社を作り直すことによって、建築物としての寿命は20年だが、社としての昨日は1000年を越す寿命を持っていると考えられる。京都の町家造りの家屋は、やはり寿命が長く、数百年という単位である。町家造り自体が長持ちするように考えられて建てられているのに対して、江戸の庶民が住む長屋などは、長持ちすることよりも直ぐに立て直すことができるように、簡素な作りになっていた。当時は「火事と喧嘩は江戸の華」など言われるように火事が多く、消火方法は建物の破壊による延焼防止だったため、立て直すことを前提に建築物は造られていた。火事で燃えたり壊されたりするが、また直ぐに立て直すというのは、伊勢神宮遷宮と同様に、江戸の町としては数百年という単位の寿命を持っているとも言えよう。

実は、デジタルデータの保管も似た側面がある。記録データ量の増大とともに、記録媒体自体の進化があり、紙テープ、パンチカード、磁気テープ、FD、CD、BD、HDD、SDD といったように、バックアップする記録媒体の進化に伴ってデータを移行していく作業をしている。つまり、入れ物は変わっていくが(しかも、耐用年数は短くなっている!)、入っているものは変わらないという訳である。これが数百年、数千年続けばデータそのものの寿命は長くなると言えるのかもしれない。

数百年先にこの記事が読まれることがあるのだろうか?興味深い。

参照